takminの書きっぱなし備忘録 @はてなブログ

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哲学的思考法がどう仕事の役に立つのか

前回【工学的思考法がどう仕事の役に立つのか】の続き


今回は、学問を「科学」、「工学」、「哲学」、「論理」の4つに分類したうちの「哲学」の話。
ただし、哲学に関しては正直に告白すると、僕は高校時代に論語老子を読んだり(ほとんど忘れてる)、マイケル・サンデルを読んだくらいの知識しかない。が、その上で自分なりの哲学という学問についての解釈を書きたい。

哲学とは?

哲学は、突き詰めれば結局「自分は何を善い/悪いと思うか」という価値観に行き着く。そしてその根本となる価値観を元に、様々な場面を想定して論理を構築したものが哲学だ。そして哲学は科学や工学との関係が深い。例えば「人は自由であり、皆、平等である」が価値の源泉だった場合、それを元に社会制度を考えていったのが「民主主義」になる。民主主義は、そのような「自由で平等」な社会をどのように実現するかという工学的な側面を持つが、一方で自由と平等のバランスをどう取るべきか、という科学や工学では答えの出しにくい価値観の問題を投げかける。例えば、社会福祉の問題を考えた時、お金持ちから集めた税金を、年金や医療に回すのは自由の侵害ではないか?という考え方もある(リバタリアニズム)。
また科学との関係においては、例えば人間の才能や病気の可能性などが遺伝子レベルで明確にわかるようになった場合、企業がある特定の遺伝子を持つ人間の採用を取りやめることは差別にあたるのだろうか?それとも合理的な経済活動の範囲内と言えるだろうか?また妊娠中絶の問題を考えた場合、そもそも「生命とは何か」というまだ答えが出ていない科学的問題も考えなくてはならない。このような性質ゆえなのか、かつて古代ギリシャやローマでは哲学は科学も含む学問だった。
このように哲学は、人間として価値観の選択を迫られた時の判断基準を与える。

哲学的思考法

哲学的思考法は、科学的思考法や工学的思考法のように、対象ごとに分析や実現方法を考えるようなものではなく、何か自分が選択を迫られた時や、善悪を判断しなければならなくなった時に、その都度自分の中に構築してある哲学に基づいて選択を行うためのものだ。時として、自分の哲学と矛盾する事態や想定外の事態などに出会った時に、次に同じ事態に出会った時に判断が迷わないよう、自分の中の価値体系を拡張/成長させていくべきものだ。特に、違う価値観を持つ人との対話が、自分の哲学を育てていく上でとても重要になる。イメージとしては、自分の哲学Aと他者の哲学Bが矛盾を起こした時、AとBを内包するような新しい価値の論理Cを構築することが哲学を育てる。

応用例

哲学は、自分がなんらかの決定を下す立場になればなるほど、重要になると僕は考える。特に子育てやあるいは部下を持つような場面では、価値観が一貫していなければ、その指示を受ける人間は混乱してしまうし、共感は得られない。また様々な価値観について考えたり、他者との対話を怠るなどして哲学を育ててこなかった場合、その自分の狭い価値観から外れた人間を受け入れられなくなる。企業にビジョンや理念が大事だと言われているのは、こうした哲学が従業員の共感を得、多様な価値観を持つ人間を一つの方向へ向かわせる力になり得るからだ。
ここで1つ重要な点は、哲学を実社会に応用するためには、行動が伴わなければならないということだ。言っていることとやっていることが違う人間を人は信用しない。純粋な知識としての哲学とは別に、その行動も哲学に裏打ちされていなければ、それこそ「論語読みの論語知らず」となる。哲学は時として自分の欲求に反することがある。その時、自分の欲求を抑えこみ、哲学に従うことができるかが問われる。「言うは易し行うは難し」だ。

まとめ

  • 哲学は突き詰めれば、自分は何を正しいと感じ、悪いと感じるかという価値観を論理的な体系としたもの
  • 哲学は何らかの決定を下す時に重要。
  • 知識としてだけでなく、実践をしていくことが大事。