前回【論理について】の続き
今まで学問を「科学」、「工学」、「哲学」、「論理」の4つに分類して、それぞれについてどのような思考方法をとるのかと、それがどう仕事で役に立つのかを書いた。
簡単におさらいすると、
- 科学は、事実やデータを元に、対象がどうなっているのかを理解するための学問
- 工学は、目的をどのように達成するのか、その手段を考える学問
- 哲学は、何を良い/悪いと思うかという価値観を体系化する学問
- 論理は、様々な事象を抽象化して、因果関係の鎖を構築する学問
以下では、この4つの思考方法には優先順位があるんだよ、という話を説明したい。
4つの思考方法の関係
この4つの思考方法はそれぞれが独立したものではなく、お互いが深く関係している。その関係を示したのが下の図だ。
既に述べた通り、論理的に考えるという行為は、科学的思考法、工学的思考法、哲学的思考法、全てにおいて必要とされる必須スキルだ。そのため、「論理」を中心において、それ以外の3つの学問分野に矢印を引いた。
そして、「科学」から「工学」と「哲学」へ、「哲学」から「工学」へと矢印が引かれている。
この思考の順番は特に重要だ。
つまり「科学」は「哲学」と「工学」に優先し、「哲学」は「工学」に優先する。
「科学的思考法」、「哲学的思考法」、「工学的思考法」を動詞で一言で表すなら、それぞれ「分析する」、「判断する」、「実行する」となる。つまり、現実を正しく把握して受け入れることを一番はじめにやるべきで、その上で自分の価値観に基づいて判断を下して目的を決定し、その目的に沿って実行するべきということになる。
なぜなら誤った現状分析の上でどのような判断を下し、どのような行動を起こそうともまったく意味がないからだ。ところが、往々にして人はこの原則を忘れ、特に哲学が科学に優越するという自体が起こる。時に科学は、自分の理想や価値観からは受け入れ難い現実を突きつけることがあるが、人間は自分の見たくないものに目をつぶってしまったり、出来事を自分の都合のいいように解釈してしまう傾向がある。
例えばガリレオが地動説を唱えても、教会側は自分達の宗教哲学に反するということで彼を弾圧したのが良い例だ。しかしどんなに人間が自分の都合の良いように世の中を解釈しようとも、真実から逃れることはできない。教会側が何を言おうと結局「それでも地球は回っている」わけだ。
特に政治家や会社の経営陣など組織を動かす立場の人間が、この科学的思考法に基づいて現実を正しく理解する、という態度が取れていないと、国民や社員を巻き込んだ非常に悲惨な状況が起こり得る。特に政治家は強いイデオロギーを持っている人が多いだけに、こういう誤りに陥りやすように感じる。現実をみない理想主義は日和見主義よりもたちが悪い。
また、哲学が工学に優先するというのも大事だ。工学が目的志向のものである以上、正しい目的を与えなければ意味がない。その「正しい目的」を与えるのが哲学的な価値判断だ。
つまり、「科学的に分析し、哲学的に判断し、工学的に実行する」ことこそが、僕は学問を修めたものが取るべき態度だと考えている。こういう考え方ができる人間を増やすことは、お金を稼ぐという目的を超えて、より良い社会を作るために大事なんじゃないかと思う。学問は、民主主義社会の主権者である国民を育てる。僕は学問を通して、より良い民主主義社会を作ることができると信じている。
まとめ
- 科学的に分析し、哲学的に判断し、工学的に実行することが、学問を学んだ人の取るべき態度
- 科学は哲学と工学に優先し、哲学は工学に優先すべき。
- 学問は民主主義社会の主権者である、国民を育てる。
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2.科学的思考法がどう仕事の役に立つのか
3.工学的思考法がどう仕事の役に立つのか
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5.論理について
6.科学的に分析し、哲学的に判断し、工学的に実行する
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